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第18回公演『umami』2017年3月18日(土)〜26日(日)@SPACE梟門
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本公演は終了致しました。 沢山のお客様にご来場いただき、誠にありがとうございました。-------------- 第17回公演『おせん』 2015年10月30日(金)〜11月1日(日)@シアター711 チラシブログ用 チラシ裏ブログ用
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白州です
IMG_0888.JPG
今回の芝居で、
僕と佐野さんと有山さんの3人が結束して、

とある敵を倒しに行くシーンがあるのですが、

(ネタバレ注意)

見事失敗し、
命からがら退散してくるシーンで、
演出家からダメが出まして、

「どうも草野球で負けた疲れたおっさん3人にしか見えない…」

との事…

芝居と言うのは本当に難しい…

リアリティーを出す為にどうしようかと悩んだ結果、

過去の自分の体験を掘り起こしてみまして、

そこで思い出したのが、

高校の修学旅行。

みんなで超ドキドキしながら女風呂を覗いてた時の事です。

ふざけた同級生が冗談で、

「こらー!」

って叫びまして、

その瞬間、一同血相を変え、
奇跡の様な猛ダッシュで四方八方に散っていったのです…

あの時の「恐怖の心境」を思い出しながらこのシーンを演じた所、
演出家からのダメは無くなりました…

あの同級生の「冗談」には本当に頭に来ましたが、
こんな時にこんな所で役に立つ日が来るとは思ってもいませんでした…

と言う事で、
このシーンをご覧になりましたら、

佐野さんと有山さんは
「敵に見つかって逃げている」のですが、

白州は
「実は女風呂見つかって逃げているんだな…」

なんて思って観て頂くと、

この芝居も10倍面白く観る事が出来るかもしれません…

ご来場心よりお待ちしております。

| サスペンデッズ | 白州本樹 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
しかし早船聡と言う男はつくづく凄い男だよ。
何が凄いって、

実は昨日も稽古場に少し早めについて、準備とかしてたのに、

隣の部屋で寝てるって言う…

勿論、理由はある。

世の中の取材も兼ねて、
寝る暇を惜しんでは夜中の仕事をし、

夜勤明けても家に帰らず、
稽古場近くのうどん屋で、
更に一時間程ネタ探し。

10時の開館を待ち、
そのまま稽古場の隣の制作室に直行し、
そこでようやく早船の一日は終わる。

そして、
昼過ぎにポツポツと役者達が稽古場に集まって来て、各々アップしたり台詞の確認をしている間も、

彼は隣で寝ている。

凄い男だ…

14:00稽古開始なのに、
どうやら13:30に目覚ましをかけているらしい…

そしていよいよ早船が稽古場に登場する。

「おはようございます」

って言うものの、

彼の場合は本当の
「おはようございます」だからね…

こちらもそのつもりで言わないといけない。

そして、朝起きて一番最初にする事が、
目覚めのコーヒーでも軽いトーストでもなく、

「稽古」であり、「演出」であると言う…

凄まじすぎる…

そして驚くべき事に昨日も、
14時ぴったりに稽古開始。

真の演出家とはこのことですよ。

そうやって一日稽古や演出をし終わると、
その足でまた彼は仕事場へ向かい、

私がこうやって自分の部屋の日の当たるソファでコーヒーを飲んでいる今も、

彼は制作室で
束の間の眠りについている事でしょう。

「稽古」と「夜勤」

この二つしかしていないと言う、

こんな修行僧のような演出家は見た事も聞いた事もありません。

まさに男、早船聡、

命を削りながら作り上げた舞台。

「あの涙の向こうに」


じゃない…


なんだっけ?



「さようならを数えて」

じゃない…


「さよならを教えて」

いよいよ来週水曜から始まります。


ご来場お待ち致しております。


image.jpeg
| 白州本樹 | 白州本樹 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
ご来場まことにありがとうございました。
 そして出演者の皆様、本当にお疲れ様でした。

特に今回は伊藤総さんがすばらしい演技を見せ、僕としましては大変悔しい思いをしましたが、

でも銀ペイ君や白州さんよりかは全然マシな演技が出来たので満足しています。

貧乏劇団員の尾浜さん、関さん、俊輔さんは僕の指導のもと、大変感動的で素晴らしい演技をみせてくれて感謝いたしております。

芝居では、太田さん演じる「雪江ちゃん」に僕は惚れちゃうわけですが、
実際には日に日に太田さんが僕に惚れてくるのを感じずにはいられませんでした。

細越さんはいつも本番前にウォーミングアップで歌を歌うので、
僕の大事な、本番前のスタニスラフスキー、ウォーミングアップの邪魔ではありましたが、
あんな綺麗な奥さんに「バキューン」なんてされたら幸せだろうなといつも思ってました。

新田さんも唯一の20代とは思えないくらい、迫真の盲目を演じきりまして、
将来、渡辺えりさん並の大物女優になる予感さえあります。
今回、からみがなかったのは残念です。

からみが無いと言えば、高橋理恵子さんともまったくからみがなかったので、
今度時間が出来たら是非、越谷レイクタウンにでも誘ってみようかと思います。

本当に太田さん以外の女優陣とはまったくからみがなかったので、
次回、早船さんには女優全員と絡む役を書いてもらおうと思います。

その他、上田さん、はるかちゃん、大友さん、 今城さん、大野さん、工藤さん、平井さん、袴田さん、 木村タカヒロさん…


本当にありがとうございました。




佐野 陽一



| 白州本樹 | 白州本樹 | comments(2) | trackbacks(0) | - | - |
「落語論」
 「2010億光年」と言う壮大なテーマを前にして、「ポアンカレ予想」だの「生物と無生物のあいだ」だの色々と事前学習しましたが、

いざ、台本が出来てみると「ハメ撮り」とか「SM」とかそんなのばっかりで、事前学習が全くの徒労におわりました。

今はしかたなくメンバー全員、早船の壮大なセクシャルファンタジーの世界を体現すべく格闘しています。

今日、初日です。

そこで初日の朝ではございますが、今日は「ポアンカレ」でも「分子生物学」でも「ハメ撮り写真集」でもない、全く別の本を一冊



落語論

講談社現代新書




先日読み始めて、まだ三分の一位しか読んでいないのですが、なかなか興味深い内容なので一部紹介します。


落語とは…




まず基本的なことではありますが、


〕邯譴箸魯薀ぅ屬任△襦



それは花火をDVDでみてもしょうがなく、アフリカの大自然をデジタルハイヴィジョンで観ても現実には遥かに及ばないのと本質的には同じであります。

落語に基本は喋り手が客に向かって発してくる「気」にあります。

たまに恐ろしくマイナスな気を発し続ける芸人がいるが、客も負の気を浴び続けるとぐったりします。

落語も100席から200席そこそこが適正な観客席のようです。



⇒邯譴寮気靴じ曲犬呂覆ぁ



一字一句間違えなく喋れば良いという完全な原典は存在しない…
落語のセリフは人によって違う。
常に落語家の体温とともに変わっていく。
同じ演者でも日によって細かい文言が違っている。



M邯譴砲魯織ぅ肇襪なかった。



新しい落語が出来たらタイトルをつけなくてはならないと言う強迫観念は昔の寄席にはなかった。
しかしさすがに「あれ」「それ」では困るので、仲間内の連絡事項として必要だったにすぎない。
大工が大工道具を呼ぶのと同じ次元である。

ついでに言えば落語の登場人物の名前も意味がない…
うるさい子ども達は「ちびちゃん」で十分だし、
バカ者は「与太郎」で十分なように。

落語は名前も何もない昔からあったのである。



ね邯譴療仂貎擁にキャラクターはない。



個性というのは近代民主主義が生み出した産物であり、落語の人物には個性はない。

ここでいう個性とは、客が人物を理解しやすいように性格の一部分をわかりやすく強調したという意味での個性あって、そういう意味でのキャラクターは落語には必要ない。

例えばそれぞれの登場人物にある特殊な性格を割り振り、その役柄からぶれずに最後まで演じきる。
「怒りんぼ」は常に怒っていて
「道化」はいつも冗談を言っている。

すべての人物が優れた軍人の如く常にやることが終始一貫している…
そうなるとそれはもはやわかりやすい「単純喜劇」であり、落語ではない。

落語は「厄介な存在である人間」をそのまま反映したものであり、
矛盾しているし、言っていることとやっていることが違っている…
言うことは変わるし、場面によって行動も違ってくる。

善と思えば悪、愚者と思えば賢者と言う複合的展開をもっている。
キャラクターが固定されているとその融通が利かない。



ァ嵳遒繊廚砲皸嫐はない。



「落ち」は合図でしかない…

落ちがなくても落語は成立する。

しかし落ちがあったほうが「終わった」感じがしていい。つまり、

「ここで、落語は終わった。はい、あなた達は現実に帰りなさい。」という合図で、それ以上の意味はない。

優れた話は「落ち」の少し前に一段落つく。「落ち」の少し前で話は終わっている。
その後に「おまけ」のように落ち部分がある。

優れた話ほど「落ち」に頼らない。



ν邯譴砲魯好函璽蝓爾發覆ぁ



キャラもなければストーリーもない。

もちろんストーリーじみたものを抱えてる落語もある。
しかしそれは最重要事項ではない。
ストーリーはあくまでも借り物である。
落語はストーリー展開を楽しむものではないのだ。

例えば、ストーリーのある落語は素人がやってもある程度聞いてもらえる。
しかし、あらゆる落語家が、「大ネタより小品のほうが難しい」と口をそろえて言う…

ストーリーが主流ではないと言うことは「あらすじ」にも意味がないということです。

落語は体験である。
身体で受け入れないと感じることが出来ない…

落語が主張すべきは「文学性」ではなく「身体性」なのだ。



落語の神様はセリフに宿る



落語はセリフのやりとりで進んでいく。
説明である地語りはなるたけ少ないほうがいい。
落語の芯はストーリーではなくセリフである。




内容なんかどうでもいい



客に頭で考えさせない。
冷静な判断をさせないことだ。

「熱気」でもっていく。身体的に響かせ圧倒する。
内容なんかどうでもいい。

落語もヒトラーの演説も内容なんか誰も気にしてない。
気持ちよくさせてくれるのならついて行く。



「ありそうな空間」を作る。



自他の区別をなくす。
つまり演者と客であるという区別をなくす。

その場に居る感覚を持たせてくれれば、その一席は成功である。



言葉よりも音のほうが大事



落語は言葉の意味だけに頼っているわけではない。

落語は歌である。

歌と言うのはもちろん比喩ではあるが、ただ現実的に身体を使って身体に伝える音の振動であるから、本当に歌でもある。

うまい落語家は歌うように落語を語る。

落語にとって実は言葉よりも音のほうが大事である。
ストーリー頼りであれば展開を覚えてしまえば飽きる。

歌は繰り返し聞ける。

それと同じだ。




以上、
ここまでしか読んでいませんが、







まるでサスペンデッズ…







サスペンデッズが落語的なのか、落語がサスペンデッズ的なのか、(それはないと思うが…)


これ、

「落語論」ではなく、「サスペンデッズ論」にしても何の違和感もありません。


とにかく「2010億光年」という題名には何の意味もないし、
内容もどうでもいいです。
ストーリーもありません。
佐野の役名が「原田」だろうと「上倉」だろうと「ユニコーン」だろうと全く意味はありません。

客席もキャパ300名のところを座席をはずして楽屋裏に密かに隠して、
130名にしました。

それでもお席はまだまだ沢山ございますので、


お時間がございましたら是非今夜19時、

観にいらして下さい。

お待ち致しております。


| 白州本樹 | 白州本樹 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
生物と無生物のあいだ


講談社現代新書。


 

野口英世

と言えば、


貧困と幼い頃の怪我を克服し単身渡米し、

梅毒、ポリオ、狂犬病、黄熱病の正体を発見し

最後はアフリカで客死した、

日本では千円札のモデルにもなっている「偉人」として認識されていますが、

 

彼が留学していたアメリカのロックフェラー大学での評価はかなり異なったものとなっています。

彼の研究の成果は現在ではほとんどで間違いが判明され、むしろ彼は、ヘビードランカー及びプレイボーイとして評判のほうが定着しています。

 

では彼のデータは単なる「錯誤」だったのか、あるいは「捏造」だったのか…


 

仮にあなたが研究者だったとしよう。


試験管の中に患者から採取した体液があります。この中に「病原体」が潜んでいる可能性がある。

病原体は非常に小さい。もちろん肉眼では見えない。あなたは息を潜めて顕微鏡を覗く。

 

「なんだこれは!米粒のようなものが一斉に蠢いている、こいつだ!こいつこそこの奇病の病原体に違いない!」

 

あなたは興奮するだろう。

 

そしてここにもう一つ「健康的な人の体液」がある。もしここでも例の米粒が蠢いていたら

 

ゲームオーバー。

 

この米粒のような微生物はすべての人にあまねく存在することになる。

しかしもし、健康体サンプルの中に米粒が全く見られなかったら

第一ステップクリア。

 

ただ、もちろん喜ぶのは早すぎる。

四方八方をつくし、出来るだけ多くの「患者からの体液」を収集し、同時に多くの「健康なサンプル」を収集しなくてはならない。

そして患者の中には「必ず」米粒が存在し、健康体の中には「必ず」存在しないことを証明しなくてはならない。

 

しかしもし仮に、患者の中に一つだけ微生物を発見できないケースがあったとしたら、

 

あなたはそのデータを「なかったことにする」誘惑に駆られるかもしれない…

これはもちろん虚偽になる。

 

しかし十中八九、患者の体液からこの「微生物の存在」が確認できれば、

多くの研究者は第二ステップをクリアしたことを認めるでしょう。

しかし、もっと大きな問題があなたを待ち受けているのです…


 

患者のサンプルには「必ず」米粒が存在し、健康な人からはそれがみつからないという厳然たる事実があれば、
この微生物が「病気の原因菌」であるといえるか?


否である…

 

容疑者xはどの犯行現場でも目撃されている。しかしxが手を下した証拠はどこにもない。

ある微生物が患者の体液に必ず存在したとしても、この時点ではまだ嫌疑不十分なのです。

 

では次にどのような要件が必要なのでしょうか?

 

因果関係を立証するには「介入」をしなくてはなりません。

つまりその「微生物を取り出し」、それを健康な「実験動物に接種し」、病気が発生するか確かめればいいのです。

 

野口英世もおそらくこの介入実験を繰り返したに違いないでしょう。

 

そしてその微生物を健康な動物に接種し、「人為的に病気を起こすことに成功」した。

これは立派な病原体の証明ではないか。


残念ながらまたしても否である。

 

確かにその動物は発病した。顕微鏡でみたら例の米粒が蠢いている。他には何も見えない。

 

しかし

見えないからと言って、その微生物以外に何者もいないかどうかはわからない。

何も見えていない透明な背景に「更に微細な何者か」が潜んでいる可能性があるからです。

 

それが、俗に言う「ウイルス」と言うものです。

 

ウイルスは単細胞生物より更に小さい。

それが電子顕微鏡で人間でも確認できるようになったのは1930年代以降。

野口英世がこの世を去ったのが1928年。この時世界はまだウイルスの存在を知らなかった。

つまり野口が生涯をかけて追った黄熱病も狂犬病も、その病原体は実はウイルスによるものだったのです。

 

ウイルスをはじめて捉えた科学者達は不思議な感慨に包まれたに違いありません。

 

普通、「生物」と言われているものは一般にウェットで柔らかく、それぞれが微妙にちがった形をしていると我々は認識しています。


しかしウイルスは同じ種類であれば全く「同じ形」をしていた。「大小」や「個性」と言った偏差もなく優れて幾何学的な美しさをもっていた。

ウイルスは栄養も摂取せず、呼吸もしない。もちろん二酸化炭素も排泄物も出さない。

つまり一切の「代謝」を行っていないのである。

しかし決定的な特徴が一つある。

 

それは「自己複製能力」を持つということです。

 

ウイルスは単独では何もできない。ウイルスは細胞に寄生し、その接着点から細胞の内部に向かってDNAを注入する。

細胞は何も知らず、その外来DNAを「自分の一部」だと勘違いして複製、大量生産する。

そしてウイルスは間もなく細胞膜を破壊して一斉に外に飛び出す。

まるでエイリアンの如く…

 

もし生命を「自己複製するもの」と定義するなら、ウイルスは紛れも無く生命体である。

しかしウイルス単体を見れば、それは無機質で硬質の機械的オブジェにすぎず、

そこに生命の律動はない。

 

生物と無生物のあいだ

 

野口英世が生涯知ることのなかったこのウイルスは

 

はたして生物なのか

それとも無生物なのか

 

美しい日本語で書かれたこの本はとても分子生物学と言う堅い分野の本とは思えない読みやすさです。もちろん賛否両論はありますが、それだけ多くの人に読まれていると言うことであります。


昨年大騒ぎをした新型インフルエンザ、ウイルスですが、私達はウイルスについて、口にはするものの、その存在がどういうものなのかはあまり理解していません。分子生物学という難しい分野を広く世間にわかりやすく紹介してくれている点では大変お勧めの本です。新書の中でもベストセラー中のベストセラーとなったのも頷けます。

 

後世に読み継がれる名著であると思います。


で、 

 

ちなみにウイルスの大きさですが、

まず、病原体とよばれる細菌は非常に小さく、もちろん肉眼では見えません。

ヒトが何とか識別できる粒をラグビーボールとすれば、微菌は仁丹ほどでしかない。

ウイルスは更に小さく、

例えば今度は大腸菌をラグビーボールとすれば、

ウイルスは(種類によってことなるが)ピンポン玉かパチンコ玉程度の大きさになる。



 

まるで2010億光年…


 

いや、ミクロの世界における「2010億光年」となると、

ウイルスよりも更に目に見えない存在のこととなるであろう。

まさに人類未踏の世界

 

早船はやはり、とんでもない作品を書こうとしている…

 

この「2010億光年」

はたしてミクロに向かうのか、それともマクロに広がるのか…

 

演じるほうはもはやなすすべもなく、ただ呆然と台本の登場を待つのみである…

 

そしてこの「2010億光年」の出来次第では、

 

早船が千円札になっているかもしれない…

| 白州本樹 | 白州本樹 | comments(1) | trackbacks(0) | - | - |
ポアンカレ予想
 

昨年入院していた時に、円の同期の坂○寿美子さんが病室に持ってきてくれた本を、ようやく読みました。


 

100年の問題はなぜ解けたのか


 

これはNHKスペシャルのドキュメンタリーを書籍化したもので、

 

100年間誰も解くことのできなかった数学的難問「ポアンカレ予想」を解いたあるロシア人博士を追ったルポである。

 

ではポアンカレ予想とは何か?

 

正式には

 

「単連結な三次元閉多様体は、三次元球面と同相と言えるか」と言う問いで、

 

まあ簡単に言ってしまえば、

 

宇宙はどのような形をしうるか?」ということを数学的に解き明かそうと言う事であります。

 

100年以上前にフランスのポアンカレという学者が提唱した問題で、もちろん本人はそれを解き明かすことはなくこの世を去っていったわけです。


では一体どういう問題かと言うと、

 

例えばその昔、マゼランが船で地球を一周したことにより人々は、地球がどこまでも続く平面ではなく、「丸い」ということが分かったわけですが、ポアンカレが生きていた時代はまだ地球の姿を外から見た人はいません。

 

そこでポアンカレは考えました。

 

「船が地球を一周しただけではまだ地球は丸いとは言えない。もしかしたら北極と南極を貫く穴があいていて、地球はドーナッツ型をしているかもしれない。」

 

ならば船の後ろにロープをつけて、地球を一周して帰ってくると、ロープは地球をぐるっと一周する。(もちろん現実にはこんなことは出来ませんが、数学者という人達は頭の中でこういう世界を簡単に作り上げるのです。)

そのロープの端と端を結んで手繰り寄せます。そのロープが地表を辿って回収されれば地球は丸いと言えます。

 

これを応用して、
今度はロケットの後ろにロープをつけて、ぐるっと宇宙を一周して返ってきたロープを手繰り寄せて、無事回収できたら宇宙は丸いといえる。もしどこかで引っかかってしまったら、宇宙は丸くない。

 

と言う、なんだかバカにしたような問題ながら、あまたの数学者達が「底なし沼」にはまり、20世紀の未解決最重要課題の一つに選ばれ、100万ドル(約1億円)の懸賞金まで付きました。

 

 

何がそんなに難しいのかと言うと、

どうやら「特異点」と言う、どうやってもロープが絡まってしまう点が出てきてしまうようです。

 

ある天才数学者は、7次元の世界ではロープを絡めることなく回収することに成功しました。そして天才達は6次元、5次元、4次元とことごとくロープを回収していくわけですが、どうしても3次元の段階で止まってしまいます。

 

そしてこの難問が一人の変人によって遂に解き明かされました。

 

ユダヤ系のロシア人であるペレルマン博士です。

彼はロシアの研究所からある日突然メールを発信しますが、このメールが世界中の数学者達を震撼させます。

 

少々難しい話になりますが、

今までの数学者はトポロジーを使ってポアンカレ予想を解こうとしたのに対し、ペレルマンは微分幾何学と物理学の手法を使って解いてみせました。
そのため、数学者たちは、まず、


.櫂▲鵐レ予想を解かれたことに落胆し、

△修譴トポロジーではなく微分幾何学を使って解かれたことに落胆し、

そして、その解の解説がまったく理解できないことに落胆しました。

 

数学において、ほとんどの人は二つ以上の分野で重要な貢献をすることはできません。二つ以上の分野を習得するには新しい考え方を一から再構築しなくてはいけないからです。

ペレルマンはいわば、100メートル走に砲丸投げ、そして棒高跳びとすべての競技において金メダルをとる選手みたいなものです。


 

彼は数学界のノーベル賞といわれるフィールズ賞に選ばれます。


 

これは4年に一回開催される数学界最高の賞で、その受賞人数の少なさから比較してもノーベル賞ははるかにしのぐ賞だと言われています。

 

これをペレルマンは受賞拒否をしました。もちろん賞金100万ドルをもです。

 

今、彼は人前から完全に姿を消し、わずかな貯金と母親の年金だけでサンクトペテルスブルグの森の中で隠遁生活をしています。

 

彼を知る人たちは言います。

 

「100年の問題を解くということは実に困難なことです。しかし彼はその孤独に耐えたのです。それは日常の世界で生きると共に、めくるめく数学の世界に没入することです。それは想像を超える厳しい戦いであったに違いません。彼はそれに最後まで耐え抜いたのです。」

 

「彼は必要でないものを徹底的にそぎ落とし、自分を社会から遮断させて問題だけに集中しました。その純粋性が孤独を可能にし、同時にフィールズ賞を辞退させたのです。純粋性は大切です。何故なら数学、科学、芸術、なんにおいても堕落が生じれば消滅の途を辿ってしまうからです。数学は何よりも純粋性に依存する学問です。自己の内面が崩れては数学は出来ません。」

 

「ポアンカレ予想を証明することは我々には想像すら出来ない恐ろしい試練だったのかもしれません。その試練を彼は一人でくぐり抜けました。しかしその結果、彼は何かを失ってしまったのです。」

 

 

数学の難問を解いて一体何の意味がある?

 

と言う世間の冷たい目をあびながらも取材を続け、数学者と言う奇妙な人達の生き様を浮き彫りにしてくれたこの本は快心の一冊と言える内容でした。

 

そして次回サスペンデッズ公演の題名は

 

「2010億光年」

 

この本を読めば読むほど、僕はどうしても早船とペレルマン博士が重なって見えてしまいます…

 

当然まだ一行も書けてはいないと思いますが、そんなことは構いません。
 

今、早船氏の頭の中にはペレルマン博士と同じような、

いや、ペレルマン博士を凌ぐ、壮大な世界が広がっていることは間違いありません。

 

ちなみにペレルマンをはじめ、あまたの奇人達の業績により、

宇宙の年齢はおよそ「137億歳」

宇宙の大きさは「780億光年」以上

と言うことがわかっています。

 

それをもはるかに凌ぐ「2010億光年」とは…

 

これはひょっとしたら、

 

演劇界を震撼させる大作になるのかもしれません…

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